「じゃあ、行ってくるから。」
そういうと、台所からドタバタと母さんが箱を持って走ってきた。
「あ〜〜、ちょっと待って。コーチにこれ渡して。
暑中見舞いでもらったゼリーのセット。ゼリーだったら小さい子でも食べれるから。
あんた、お子さんいるんだから迷惑にならないように早く帰ってきなさいよ」
「分かってるって。行ってきます。」
「はい、いってらっしゃい」
俺は、家から出るとチャリに乗ってコーチの家へ向かった。
コーチの家まで、というよりスイミングスクールまでは、だいたい車で10分程度。
しかし、裏道を使うと自転車でも15分かからずに行けてしまう距離だ。
俺は、高校以来に乗るマイ自転車をこいでスイミングスクールまで向かった。
案の定、久しぶりの道だったにも関わらず、10分少々で着くことができた。
腕時計に目をやると、7時前を指している。
さすがに、8月に入るといっても7時になるともう周りは暗い。
しかし、まだうっすらと夕暮れの明かりが残っていて、遠くの山まで確認できる。
俺は夏の夜が一番好きだ。
冬のように星空がキレイに見えるほど透き通った空気ではないが、
真っ暗ではなく、昆虫たちの泣き声をBGMにしながら
時間をゆったりと使える。
物思いにふけるには、一番いい時期、時間帯であると思う。
コーチのマンションの部屋まで来ると、オートロックのインターホンを鳴らした。
外見は、新しめのしっかりしたマンションだ。
コーチ業って、意外に儲かるのか?いや、きっと奥さんも共働きじゃなきゃ、こんなとこ住めないよな〜〜とか考えていると、コーチが出た。
「はい、もしもし。」
「昇です。今つきました。」
「おー、オンタイムだな。入れ入れ。」
ピーという電子音とともに、自動ドアが開いた。
俺はエレベーターに乗り込み8階を押した。
俺はエレベーターの中で
コーチの家について、奥さんに会ったときの挨拶を必死に考えていた。
「なんて言おう・・・。
コーチに昔お世話になった大前です。今夜はよろしくお願いします。
・・・よろしくお願いしますって、ちょっと変だよな〜〜」
つくづく、社会のマナーを何も知らないことに恥ずかしく感じる。
そうこうしているうちに8階についてしまった。
「まあ、なんとかするしかないな!!」
俺は部屋の前まで着くと、覚悟を決めてインターホンを鳴らした。
ガチャ。
「よく来たな。」
「良かった〜〜。しょっぱなコーチで(笑)」
「ん?まあ、いいや。入れよ」
「お邪魔しま〜〜〜す!!」
Tシャツにジャージといたってラフな格好をしているコーチは、そそくさと廊下の奥、リビングの方に消えてしまった。
俺は丁寧に靴を並べると、ふと写真たてが目に入った。
ディズニーランドでミッキーと三人の家族が写っている。
子供はまだ二歳くらいだろうか・・・。
笑顔がその子を抱きかかえているコーチの笑顔と、うり二つである。
その隣の奥さんも笑っている。
「幸せそうな家族だなー。」
微笑ましいと同時に、何か悲しくなる自分もいた。
「まだ、そんなとこにいたのか。早く入ってこいよ。」
「あ、すいません!!」
俺は、我に返り廊下の奥へと進んだ。
リビングのドアを開き
「お邪魔しまーす」
と、子供もいるので驚かせないように、大きすぎない声で言った。
しかし、そこには想像していた光景はなかった。
「・・・あれ??」
「ん?どうかしたか?」
ダイニングでグラスやらを準備しているコーチが不思議そうにこっちを向いた。
いや、不思議がるのこっちの役なんだが。
だって、どこを見ても、隣の寝室も電気は暗いがドアは空いているので、少し覗いても、
いるはずの人がいないのだ。
「あの〜〜、コーチ。奥様は??」
俺は、もしかしたらここからでは隠れて見えていないのかもしれないと思い、
小声で恐る恐る聞いた。
「あ〜〜、嫁ならいないよ。」
「え!?まさか・・・離婚とか!?」
「・・・そうなんだよ。
ついこの間、息子を連れて出て行っち待ってな・・・」
コーチはグラスを持ったまま、下を向いて答えた。
「えっ・。すいません。その、、、あの知らなくて。・・・。」
とんでもないことを口にしてしまったと思った。
しかし、
「昇・・・。
嘘に決まってるだろ。プハハハ。」
と、コーチは腹を抱えながら豪快に笑った。
「へ!?」
俺は間抜けな顔をして、まだ笑っているコーチに目を向けた。
「悪い悪い。昇の反応があまりにも面白くてさ。。。
離婚はしてないよ。安心しろ!!」
「マジっすか!!??
もー、やめてくださいよ。変な嘘つかないでくださいよ(笑)
でも、ところで奥さまは??」
「あ〜、嫁なら、第二子を授かっちゃって、家にいても俺があんまり面倒も見られないから、今実家に子供と一緒に帰ってるよ!!
というわけで、今夜は俺とお前、二人っつーわけだ。」
「そーだったんですか!!てか、二番目のお子さんもできたんですね。
それは、おめでとうございます!!」
「ありがとうな。ちょっと、予定外だったけどな(笑)」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ、コーチ。」
俺は苦笑いしながら、荷物を置くとコーチのいるダイニングに向かった。
「コーチ、自分もなんか手伝います。」
俺は、勝手に蛇口をひねり、手を洗った。
「お前、女房より気が利くな。
惚れ直したぞ。」
「変な言い方しないでくださいよ。これくらい誰でもできますから。」
俺は、赤面しつつ答えた。
「じゃあ、とりあえず俺が食器に料理を盛り付けるから、リビングの机に持って行ってくれ。」
「分かりました。
すごい!!この料理、コーチが作ったんですか??!!」
見ると、ダイニングにはアボガドの春巻きなど数種類の料理が用意されてあった。
「まあ、スーパーで買ったものもあるけど、大抵つくったよ。」
ちょっと照れくさそうに答えるコーチはやんちゃな小年ぽくて可愛かった。
「すごいなー。コーチって見かけによらず〜〜の典型例ですね!!」
「それって、褒められてるのか?」
「褒めてますよ〜〜(笑)」
俺は、盛り付けた皿をリビングへ何回も往復して運びながら、
コーチとじゃれ合うように楽しんでいた。
俺は、
新婚さんてこんな感じなのかなと考え、
ふと孝太さんのことを思い出したが、
コーチとのお喋りを楽しみ、食事の用意を進めた。
「昇〜〜、嫁も子供もいないから、今晩はがっつり飲むぞ〜〜!!」
と、ダイニングからコーチに言われ
「合点承知です!コーチ!!」
と、昔のコーチと教え子時代の時のように返事をした。
しかし、
また昔のような二人の関係に戻れるとはいかなかった。。。。
チリン、チリン。
長い夏の夜の始まりを知らすように、ベランダの風鈴の音が響いた。