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あにさんのはっそうはなかなかでしたが、展開をはいどくさせてもらうといささか宗教臭がはなについてなりやせん。信仰は自由ですが、摂理やら開天闢地やら、果たしていのちの尊厳を、ひとのずのうに生まれた観念でくぐれるのだろうか。あっしはもっと朴訥でかんがえてもいいきはしやすがね…
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いのちの尊厳も死の捕らえ方もひとそれぞれでございやす。あっしもJINGのあにさんにおそわるきづきなせんでしたが、もっと広義的にいのちをとらえてよいものではないかとおもいやす。
今、あるいはこの論題に答えがつかねぇかもしれやせんが、答えがないからといって議論する価値がねぇと一笑に付すとこたえがでねぇままに終わっちまうのではねぇかとおもいやす。
<KDDI-TS33 UP.Browser/6.2.0.9.1 (GUI) MMP/2.0@pocketpacket.jp>
薬屋でやんす。
論題は初頭のものとは、にてもにつかわしくねぇものになってきやしたことは、あにさんが指摘されたとおりかとおもいやす。もっとも、曖昧模糊な題目にあっしもこれだ、と確信して語れてはいなかったので、変化してしかるべきかとおもいやす。とめるべきかいなかについては、現時点で論は集束に向かっておるといえやす。であるならばさらに核心を探りたいのが、人の常かとおもいやす。
先天的、後天的かについては、自然界で同種に大規模殺戮を行うものはいなく、まだ狼に育てられたアマラたちを例に取っても、様々な習癖は先天的に伝えがたいものであるといえやす。
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あと命の尊厳って言ってますけど、そもそも命の尊厳って死ぬ権利というより生きる権利の意味合いで使われているのではないのでしょうか?あなたの言ってる死ぬ権利と言うのは命の尊厳というより人の尊厳と言ったほうがいいのではないでしょうか?
話変わりますが、一番最初に書きましたがこの論題に答えはないと思います。あなたの主張している尊厳死もありだと思いますし、死を選択する必要のない人を止めようとするのもありだと思います。ですからあなた自身がどうしたいかでこの議論は終わりだと思います。死にたい理由関係なく尊厳死と思い死のうとしてる人間を放っておきたければそうすればいいし、止めたいと思うなら止めればいいと思います。
まぁあなた自身死ぬ権利以前に命の尊厳への畏敬が人を自然と突き動かしてると考えてるようなので、そう思うならそれでいいんじゃないでしょうか?って言うのが超放棄的ですが私の結論です。
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命を大事に思うのを本能と言ってたのではなく、人が自然に突き動かされるのを私は本能と言ってたんですけど…。まぁそう解釈できない事もないんで否定はしませんけどね。
いちおう命を大事に思うのは先天的か後天的かということをいってますのでそれについて言わしてもらいますと、先天性も否定はできないと思います。他生物が仲間を助ける行為を考えて下さい。他生物が倫理を後天的に学習したとは考えにくいですから先天性だと思います。つまり他生物が先天的に知ってるなら人間も知っていると言えるのではないでしょうか?
ぶっちゃけ先天的だろうと後天的だろうと命を大事に思うってのは変わりませんので私にとってどうでもいい事なんですけどね。
あとこの議論ってあなたが最初言ってた主旨と少しずれてません?
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薬屋シン
- 06/6/21(水) 18:36 -
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週末まで手が離せそうにありやせん!今しばらくまってくんなせぇ!
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薬屋シン
- 06/6/21(水) 18:34 -
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書き込みを下さった兄さか方みなにもうしあげられることではありやすが、JINGのあにさんの挨拶のついてに、あっしも一言、感謝の言葉を便乗させていただきてえとぞんじやす。
あにさんがた、このような深刻かつ結論に至りにくい話題にお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございやす。博識非才な薬屋ではありやすが、ともに、論の究明に努めたいと考えておりやす。
今しばらく、兄さん方、お付き合いねがいやす。
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薬屋シン
- 06/6/21(水) 18:28 -
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ご意見ありがとうございやす。いろいろ忙しく、平日はなかなかへんじできずにすいやせんでした。
ん〜あにさんもJINGのあにさんにまけずおとらず、よいことおっしゃいやすね〜
個人の命といえどいのちを絶つこともまだが生命への冒涜である。義務と引き替えに権利が与えられる、なるほど理知的なかんがえでございやすね。
しかしあにさん、いのちを考えた場合、あっしは権利と義務で片つけるのはいささか乱暴に思えてならねぇんのです。誰への義務なのか、何に対しての権利なのか、殺さないから殺されないというだけでは、無期懲役で済む殺人犯や、被害者のいちづけはできやせん。
不条理の世の中に、秩序やシステムでいのちの尊厳は語れないのではないかと思えてなりやせん。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NE...@c0310538.tokai.cc.u-tokai.ac.jp>
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薬屋シン
- 06/6/21(水) 18:17 -
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あにさんは本能、あっしは命の尊厳への大いなる畏敬思うのが、些細ながらの争点といえやしょう。すなわち、人がいのちを大事に思うのはね先天的なものか、後天的な学習によるものかの、違いにございやす。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; .NE...@c0310538.tokai.cc.u-tokai.ac.jp>
いやぁ別に感情が入った訳じゃなくて素の俺の物言いだよ。普段は口が悪いからねぇ、申し訳ない。
<KDDI-SA35 UP.Browser/6.2.0.9.1 (GUI) MMP/2.0@wbcc2s03.ezweb.ne.jp>
ご意見拝見させて頂きました。そうですね、生命の尊厳への冒涜とか理由つけて死のうとしてる人を放っておくこともできますが、そういう理由がどうであれ命は尊いものと知ってるから人が死のうとする行為を止めようと自然に突き動かされるんだと思います。人が自然に突き動かされる、それを私は本能だと思っています。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@221x247x133x206.ap221.ftth.ucom.ne.jp>
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遜々

- 06/6/19(月) 3:56 -
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前の書き込みを読んでいない場合、ホームページの欄をクリックください。わかりにくい場所に貼ってしまったため、5282との返信を添付しました。
つまり私はこれを、長い間更新し続けると情を産む契約だ、と考えているのです。こう考えれば、止める行為がどれだけ自然か明確に思えると思います。また、反対に行為が罪だとも思えます。
わかりにくい場合はメールしてくださると助かります。あまり見に来ないので。
<DoCoMo/2.0 D902i(c100;TB;W23H16)@proxy321.docomo.ne.jp>
新しい意見になればよいのですが。私の持論を申し上げさせていただきます。
生命は神聖なモノで何人たりとも犯してはいけない領域と考えるまでは、私は薬屋さんと同じ考えです。ただ、私は何人たりとも犯してはいけないを拡大して解釈しております。
つまり、犯してはいけない何人の中には、死のうと考えるその人も含まれると考えております。その人がどう考えようと、借金だの、疲れただの、信じられる人がいないだの、死んでみたいだの、そういう身勝手が理由で死ぬことこそ、生命への冒涜ではないでしょうか。
ここまでだと理由を説明していませんね。自己の尊厳というものが死までは含まれない考え方に至る理由ですが、私は命はもらったモノでは無いと考えます。義務と引き替えに権利として与えられたものだと考えます。一つの精子と一つの卵子が巡り会い、しかも生まれた命を親が育てる確率。そしてどなたかがおっしゃっていましたが、事故・事件・病気に遭わない確率。そういった事柄を考えたとき、私達は生かされていると考えました。つまり、私達はすれ違う一人一人・一つ一つと双務有償の契約を更新しながら生きているのではないでしょうか。殺さないから殺されないという。
<DoCoMo/2.0 D902i(c100;TB;W23H16)@proxy302.docomo.ne.jp>
▼薬屋シンさん:
さて、本題に入ります。私としましても、完全にまとめているわけではありませんので、解かりにくいところがありましたら仰ってください。
まず、私の考えを述べさせていただきます。それぞれの単語に対しての語弊をなくすため、単語それぞれの意味や項目で述べていきたく思います。
(1)責任
人と関わりを持てば、その人との縁を持つと考えます。そのとき、相手に対して、悪いことは悪いという。等、しなければならないことと、悩みを共に解決していく。のように、するべきことと二つでてくるように思います。その両者をあわせて責任、という風に表現しました。その辺は、薬屋さんが”責任””義務”と分けていただいておりますとおりです。
(2)生命の尊厳
難しいことだと思います。もちろん人間にも、尊厳はあります。しかし、人間を尊重するのと同様に、様々な生命体にも敬意を払わなければいけない以上、”他者の死”が生命の尊厳に該当し、それはとめてはならない崇高な行為か。と、問われれば、それは生命の必ず通る一通過点に過ぎず、人生の大切な要点であろうとは思いますが、絶対にとめてはいけないものだとは思いません。
(3)死を望む者を止める。
これに関して言えば、止めるの自然の行為。その通りだとは思います、しかし、止める以上そこにはやらなくてはならないことが出来てくると思います。そこを本当に果たせるなら、止めるべき。と私は言っていたつもりでしたが、語弊はあったかと思います。
(4)救う、救われる、手を差し伸べる。
これは、先に申したとおり”主観”で見ては絶対にいけないと思います。『私は貴方を救っているのです。感謝しなさい。』ではなく『私は貴方に救われました。ありがとう』と、言われるようにしなければならないのでしょうか。そして、その経験をつんだ人が始めて『私は、貴方を救います。見返りは要りません、ただ、迷惑であっても死に向かう人を見ていることはできない、少しでも愛を知ってこの世に希望を持って欲しい』と、いえると思います。しかし、現実的に見て確かに主観による”救う”が本当に人を救うことがあります、でも、そこで傲慢にならないため”手を差し伸べる”程度の表現にとどめたほうがいいのではと提案しました。
(5)生命の尊厳の冒涜
これは、今人類社会で最も大きな問題だと思います。本能とそれに伴う多少の知識で生きている動物と人間は一線画すことが出来ると思います。しかし、その人間が自然を破壊し、生命のバランスを崩している現状が、生命の尊厳の冒涜であると思います。そのため、それぞれの個々の人生に関しては後述いたしますが、関わってもいい。と思います。そのかかわりの集合体が”自然”であると私は思います。
(6)単一の種に対する真の愛が種を超える。
”真の愛”とは、自然すら超越したものだと思います。相手を思いやり、人生全体を見通してプラスになるように行動し、自分を大切にし、相手を大切にし、悲しみを知り、それを受け止め、愛情に変え、他者に注ぐ。それをすれば、おそらく”自然”を尊重しなければならない。という考えに行き着くと思います。端的に言えば 人間がよりよく生きる⇒植物や純粋で清浄な空気や食物が必要⇒それは、動植物がきちんとしたバランスによって生まれる⇒それを大切にせねばならない。 と極論短論ですが、たどり着けるはずなのです。その辺を考えれば、単一の種にこだわらず、真の愛が相手を救うことはできると思います。そして、真の愛をはぐくむには、邪悪な念(後述)はないはずと考えます。
(7)邪悪な念
それは、傲慢な心や狭い心、嫉妬、・・・・・など、相手にマイナスしか与えないものだと思います。これは、自らと相手の成長によって解決できる問題だと思います。
(8)生命倫理
これに関しては明確な答えは出ていません。ただ、自然の摂理に則って生きていくことが必要なのだろう。ということは感じています。その自然の摂理は、おそらく宇宙開闢以来続いてきた連鎖の中で組み込まれてきた、大変入り組んで難解、尚且つ単純なものだと思います。地球の摂理だけを考えてもいいとは思います。それから自然の摂理に移行するのが順番だとは思います。
(9)自然の摂理
宇宙開闢以来続いてきた連鎖で出来上がった不文律。だと思います。しかし、その一端を人間は解き明かしました。生命連鎖です。これは、エネルギーの緩慢な消費である。という結論が出ました、しかし、その上をすらいく様々な要因があるはずです。それを、人間は決して踏み外してはいけないと思います。しかしながら、宇宙的には小規模であるものの、周囲を破壊し、汚染し、自らを苦しめている人間が滅ぶ前にそれを凌駕するプラスを生み出せるのかどうか。それを見ないことには、本当に摂理を踏み外しているのかどうか解からないのかもしれません。
しかし、自然と共生する。本能だけで生きない、他者を思いやる。それこそ、われわれの周囲では、人間や一部の動物にしかできないのですから、それを尊重するべきだと思います。
(10)人間と他生命体の差と、同位点
人間やイルカなどの高い知能を有する(脳が大きく、複雑なプロセスを消化できる)動物は、それに見合った感情が出てきました。最たる例が思いやりだと思います。これが、他生命体との差であると思います。
しかし、間違いを犯し、他の生命体からエネルギーを吸収し、それを100%は生かせず、不老不死でもない点はただの生物だと思います。
とりあえず、今日はこの辺にします。もう少し言及したい部分がありますので、後日述べさせていただきます。 長々とすみません。 JING
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▼薬屋シンさん:
その意気や良し。と、古風な人間なら言ったのではないでしょうか。まさに仰るとおり、お互いまだまだ言及し、追及していかなければならない課題は多く、またそれに伴う知識も膨大でとても一人でまとめられるものではないと思います。
お互いが正反対の意見を述べている以上、それを追求することで及第点の付けられる結果にたどり着けるのかもしれません。このような場所で、真に面白い方に出会えたと己の運命とでも言うべきものに対し喜びを覚えます。
私としましても、皮肉や戯言を言うつもりはありません。真剣に語り合っていく所存ですし、その辺はお互い理解し、遠慮は無用。ということでいきませんか?私としましても、自分の意見を完全に正しいと思っているわけではありません。ただ、1つの見方として私に最も近いものだったのだと思います。久々に、心に沸々と生気が沸いてきました、ありがとうございます。
私としましても、敬意を最大限はらっていくつもりです。このような場所ではありますが、お互いに論を深めていきましょう。 JING
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薬屋シン
- 06/6/18(日) 12:04 -
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日本は言論自由です(*^_^*)
しかし、つまらない輩を相手にすると、こちらの品位までさがってしまいやすので、静観するといたしやしょう。
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薬屋シン
- 06/6/18(日) 11:58 -
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ひとまずあにさんがたのいけんをたよりに、心境の変化を吉左右衛門の兄さんへの返事のところに書いておきやした。ごらんいただければ幸いでやんす。
権利、を論じるなら、やはり死の権利を犯すことは生命の尊厳への挑戦のようにおもえてなりやせん。しかしそれ以前に自己尊大の念に拠らない、いのちの尊厳への畏敬が、ひとをしぜんにつきうごかすのではないかとおもうのです。
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薬屋シン
- 06/6/18(日) 11:49 -
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吉左右衛門のあにさんの観点をきっかけにあにさんがたの意見をまとめてみやした。ごらんいただければさいわいです。
現時点においてあっしの死に対する考えもだいぶへんかしておりやすが、それでも責任や義務にはどうしてもたどりつけやせん。むしろ縁をもった方の死を止めようとすることは、生命の尊厳への大いなる畏敬に通じる、自然な流れであり、しなくてはならないような、かたくなに保持せねばならものではないようにおもいやす。
ひとまず止めるのが当然、倫理を講ずる以前に、自然の行為におもいやす。
しかし兄さんがていきされた、自然界全体の生命倫理はどうかについては、まだまだ論を重ねる余地があるように思いやす。あ!さきのへんじもそうですが、けしてあにさんの意見を皮肉ったのでなく、いままで意に止めなかった観点が提示され、ひたすら己の不勉強をなげいていただけでございやす。
もっと、ともに論をふかめていきやしょう(*^_^*)
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薬屋シン
- 06/6/18(日) 11:34 -
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たしかに、思い詰めた時に、どうしたの、話してごらんという一言だけで人は随分救われるものでございやすね。 だれしもが思い余ってしまうときはございやす。その時生死の問題に関係なくしても、気付いて、声を掛けてあげることは、あにさんがおっしゃるとおり、極めて重要におもいやす。
あにさん方の意見を総じてみると、死にたい意図はともあれ、まず声を掛けて、止められるものは止める、断固たる死を希望するなら成就させるべき、といったところでございやしょうか。
あっしはここに来て、死にたいという人を止める行為は、単に個人の自己尊大によるものでなく、命の尊厳を前にした大いなる畏敬に相通ずるものがあるようにおもえてきやした。
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